橋本宙八のひと言集

  • あなたは何処から来て?何処へ行ったのか? (2018/04/06 投稿)

    人生で大切な人が、また一人逝ってしまった

    ほんの少し前まで、イキイキと話し、行動し、
    誰よりも見事に、人間らしい生き方を貫いた人
    大切なことを山ほど教えてくれた人、

    共に泣いたり、笑ったりもしてくれた人
    多くの人を、人生のたしかな道へと導いてくれた人
    この世で最も尊敬し、そして慕っていた人

    その人が今、
    こうして目の前で、ピクリとも動かない、
    動いてもくれない、
    口を開けることも、話してくれることもない

    彼の姿を懸命に探して見るが
    何処にもそれを、見つけることができない
    その片鱗の、微塵さえも…
    戸惑い、サマヨウ私の心

    人間とは何か?
    あの躍動した命は、一体、何処へ行ってしまったのか?
    そもそもあの彼は、何処から来た人だったのだろう?

    彼を動かし、生かし、
    そして、多くの人を感動させた
    あの素晴らしい、溢れるほどのエネルギーは?命は?
    一体?何処から?

    人は、それを魂と言うのか?
    心の世界と言うのか?

    魂とは何だ?
    心の世界とは、一体何だ?

    私にはまだ分からないが
    間違いなくそれが、そんな世界があることを
    彼が今、こうして教えてくれている

    それは、
    灰になり、
    姿が、その存在が、
    すべて消えてしまったからなのか?

    見えなかった何かが、
    彼の何かが、
    こうしておぼろげながら、見えるような気がするのは?

    人間とは何か?
    人間とは一体、何処から来て?何処へ行くものなのだろう?
    何をしにこの世に生まれ、
    そして去るものなのだろう?

    人生とは何か?生命とは何か?
    彼が今、そんな不思議な世界を、
    教えてくれている

    友であり、同志であり、
    兄であり、師でもあった人からの
    最後のメッセージ・・・
    贈り物・・・


  • 食の改善なくして教育の成長なし (2018/03/22 投稿)

    フクシマの問題を考える集まりがあって関西の某有名大学に行った。
    駅の改札の目の前が大学の門になっていて、周辺には学生たち向けの飲食店がずらりと並んでいる。大学があっての街並みの風景だ。

    真っ先に目についたのがラーメン屋。
    最近ラーメンが若者に人気があることは知ってはいたが、これほどズラリと並んでいたのには正直びっくりした。

    同じ料理を出す店がこれだけあってもそれなりにどの店も成り立っているのだから、それだけ学生たちがラーメンを頻繁に食べているということだろう。

    さらにファーストフード店にコンビニに不動産。
    これが大学の風景ですと言わんばかりのまるでテレビか映画のセットのようにも見えるが、多分これはどの大学でも似たり寄ったりの風景なのだろう。
    しかし、何て色気のない街並みだろう。
    これが最高学府を取り巻く環境かと思うと、情けなさを通り越してがっかりした。単に歳のせいだろうか。

    しかし、これはいつもそう感じていることだが、どんなに優秀な生徒が集まり、どんなに素晴らしい教授が居て、素晴らしいキャンパスがあったとしても、それを学ぶ側の命がラーメンにジャンクフードとコンビニ食では、彼らの将来はもちろんのこと、日本の未来も容易に想像がつく。

    「この状況どうにかしなきゃダメだろう!」といつもそう思うのである。
    命は、食以外のものでは造られていない。毎日の食が命に取り込まれ、胃腸で消化吸収され、血液となり細胞となって、そこから生まれる感性が、生きるための感性である知恵や判断や決断力の五感(味覚、嗅覚、視覚、聴覚、触覚)を生み出し、日々養っている。
    ただそれだけのじつにシンプルな命の仕組みだ。

    つまり、質の良い教育の効果を上げるには、それを受け止める側の命の感性を上げるしかなく、その感性を上げるためには、食事の質を高めるしか無い。

    こんな当たり前のことが考えられていないのが日本の教育現場の現状だ。
    マクドナルドが出店するのに周辺の住民が猛反対し出店を諦めさせることなど海外では当たり前の時代なのにである。

    もちろんこれは、大学生よりはるかに成長の早い保育園や幼稚園、小学校や中学校では言うまでも無いことだ。
    粗末な食事で子どもの将来や日本の未来が豊かになるはずが無い。
    政治や経済もより良い社会の仕組みを造るためには大事なことだが、何よりも優先し一日も早く改善しなければならないのがこの教育現場の食環境だ。

    今更ながらに思い知らされる日本の大きな課題である。
  • 花粉症の原因と簡単な手当法 (2018/3/19 投稿)

    花粉症の季節真っ只中である。この病気を抱えている人たちにとっては、とても憂鬱な季節である。花粉がどのくらい飛んで来るかが天気予報で放送されるのだから、それだけ多くの人が花粉症で苦しんでいると言うことでもある。
    じつは、花粉症は、杉林のそばに住んでいてもかからない人はかからないのだから、必ずしも杉の花粉だけが原因であるとは言えない。空気や水の汚染、排気ガスや生活環境の悪化なども大いに考えられる。
    さらに、最も直接的な原因である食物の視点から言えば、そもそも花粉症は、アレルギー体質であることが一番の問題となる。従って、その原因が花粉以外のどこから来ているものかが分かれば、治し方もそう難しいものではない。
    体質は日々の食べ物から作られる。従って、アレルギー源となる食べ物を突き止めてそれを食い改めることが出来れば、症状も体質も自然と改善する。
    そのアレルギーの一番の原因と考えられるのが、あらゆる食物に使われている大量の化学物質である。野菜や米、果物の栽培等に使われる農薬や化学肥料から始まり、家畜の飼料などにも抗生物質やホルモン剤などが使われていて、肉や乳製品を介して日々大量の薬物が体内に取り込まれているのだ。
    この悪しき食環境にさらに拍車をかけているのが、美食、飽食、ジャンクフードやファーストフードなどの現代人の食習慣である。この食の実態を知ると、もはや、現代人がアレルギーにならない方がむしろおかしいとさえ言える。
    花粉症を根本から改善するには何よりまずこうした化学物質を可能な限り体に取り込まないことなのだが、この簡単な食の改善も、じつは、好き嫌いが絡むことなので結構難しいことでもある。とりあえずここでは、その深い原因は追求せず、花粉症を治すためにはどうすれば良いか?具体的なアドバイスを書くにとどめて置く。
    花粉症というのは、その症状が眼のかゆみやくしゃみであることからも分かる通り、鼻や眼の奥にある鼻腔内のアレルギーの状態が一番問題であるのだから、これを直接刺激する食べ物をまず気をつけることが肝要である。
    その原因となる食べ物は、多くの人が好む揚げ物、脂肪の多い肉や魚、乳製品、甘い菓子類、果物、アルコール、甘いジュース類等だ。これらがいくつか重なってしまうと、確実に花粉症の症状を悪化させてしまう。それを避けるためには、これらの食や飲み物を極力減らすか止める必要がある。それが実行できれば、驚くほど簡単に症状が改善されることを実感するはずである。
    そして、その避けるべき食べ物や飲み物の代わりに、無農薬、無化学肥料などの自然野菜や穀物、つまり、良質の穀物や野菜を良く噛んで食べることである。また、飲み物を取るなら番茶をおすすめする。その番茶に時々梅干しと生姜一つまみ入れて飲むと、さらに症状が改善される大きな効果を感じるはずだ。
    さらに、次のような手当法をやってみることである。用意するのは、生姜一かけら、少々大きめの鍋にたっぷりのお湯、タオルとバスタオルそれぞれ一枚。
    やり方はいたって簡単。少し大きめの鍋にたっぷりとお湯を沸かし、一度沸騰させたお湯を80度ほどの温度に下げてその温度を保ったまま、そこに一かけら5センチほどの生姜のすりおろし汁だけを入れる。
    そのお湯に、二つか四つに長く折ったタオルかバスタオルをつけて良く絞り、それを鼻や眼の上に乗せて冷めないようにバスタオルで覆う。これを何度か繰り返すだけで花粉症の辛い症状はかなり改善できる。至極安上がりで簡単な治療法もなので、花粉症で苦しんでいる皆さんにはぜひオススメする。
    この花粉症を根本から解決するのに最も早く、そして、効力のある方法は半断食だ。これまで体内に溜まっているアレル源をオートファージ効果によって分解、排出してしまえば、たちどころに、そして根本的に花粉症は治る。
    あまりにもあっさりと解消するので驚く人さえ居るほどだ。体質は、一度根本から改善してしまえば、もうそう簡単に花粉症が戻ることはない。長年この辛さから解放されない人には、ぜひ来てもらいたいと思う。
    マクロビアン 橋本宙八
  • 田舎暮らしで思うこと (2018/1/19 投稿)

    ここの暮しは、山奥でもなければ大都市の郊外でもない。京都の市内まで車で小一時間ほどのところだから、そうそう度が過ぎた田舎と言う訳でもない。最寄りの駅までは車で15分ほどだから、まあ、不便と言えば不便だが、町の喧噪から離れていられるということでは、ほどほどの里山暮しである。
    以前から、古民家に住むことなどほとんど関心も興味もなかったが、これもまた御縁で、120年程歴史のある茅葺きの家に住む事になった。真っ黒に煤焼けしている梁やケタがもろに見える典型的な茅葺きの家である。
    この家に移って間もなく1年が経とうとしているが、改修工事で思いのほか時間も手間も費用もかかり、二年がかりの工事の結果ようやく去年の3月に住めるようになった家である。
    かつてのいわきの家は、母屋を始めセミナーハウスも書斎も、どこもかしこも木をふんだんに使った家だったが、ここは、木造に土壁の家。当初は、さてどんなモノかと思ったが、思いのほか住み心地が良く、夏は涼しく冬暖かい。この頃はつくづく伝統の家の逞しさ素晴らしさを実感している。この家の工事に関ってくれた建築家、大工さん、庭師の有り難い友人たちに、心から感謝の日々である。
    この家に住む時に、可能なかぎり生活に必要なエネルギーは、自然エネルギーで賄える家にしたいと思っていた。水は、いわき同様に井戸水。風呂や暖房は薪で炊くボイラーとストーブ。出来れば調理もバイオガスでやりたいと思っていたが、残念ながらこれはまだ実現できていない。電気も出来ればオフグリッド(独立電源)と思ったが、予算の都合でこれもまだ適わず少々先のことになりそうである。住み心地の悪さを心配していた古民家だったが、今は、とても気持ちのいい暮し安さを提供してくれている。
    こんな山暮しで長年骨身に沁みていることは、田舎暮らしは結構努力も体力も気力も要ると言うことだ。ここの環境は、東北に比べてはるかに植物の成長が早いと感じる。そのために、草刈りは結構度々必要で、薪集めもまた結構な労働の一つである。
    自分では、この草刈りも薪集めも田舎暮らしの必要条件だと考えているが、しかし、以前は、やればやるほど身体が燃えて楽しかった作業だが、残念ながら寄る歳波には勝てず、この頃は、体力の限界と向き合いながらの作業となってしまっている。
    ちあきには、「そろそろ誰かに頼んでやってもらったら」と言われるが、草刈りと薪集めが出来なくなったら田舎暮らしは終わり。と勝手にそう決めているので、こればかりは他人にゆずる訳に行かない。当分は、楽しみながら意地でもこの作業に正面から向き合って行くつもりである。
    いわきでもそうだったが、草刈りがしっかりやれて、冬に薪がたっぷりとあれば、何よりも豊かな気分になるものだ。今年は縁合ってたっぷりいい薪を集めることが出来た。何があっても大丈夫と思える余裕の冬である。また春には草がすくすくと育ち始める。今年もまた体力、気力を計り乍らやる田舎暮らしを淡々と楽しみたいと思っている。
  • いのちの自然農法 (2018/1/4 投稿)

    私が食の世界に関心を持ったのは、42年前に福岡正信先生の「自然農法」に出会ったことがきっかけだった。

    耕さない、肥料も施さない、可能な限り人為を施さず、自然のあるがままに作物を育てる。そんな農法で育てられた見事な稲を見て、これこそが本来の農法の姿だと気がつかせてもらった。

    この自然農法は今、発展途上国の持続可能な農法として、あるいは、砂漠の緑化などの自然環境を守るための画期的、革新的な手法として、広く世界に注目されるようになった。

    そんな健康法が人間のいのちの世界にもきっとあるはずだと探し続けた結果、食の世界に出会い、以来、44年間この健康法を探究実践し、創り上げたのが「半断食による心身改善法」である。

    半断食は、自然農法同様に、可能な限り人知や人為を捨て、食物が持つ自然の力によって免疫力や自然治癒力を高めて、偏った状態や体質を改善し、健康な体と心を取り戻す方法である。私はこれを農法に例えて「いのちの自然農法」でもあると思っている。

    半断食セミナーでは、正しい食物を正しく選択し、正しく食べることによって、ごく短期間でも健康が取り戻せることを体験、実感してもらうことを目的としている。

    この至ってシンプルな方法で、どんな状態や体質の人でも、また、どんな地域や国に住む人でも、身体を変え、心も改善できることを、多くの参加者の体験から学ばせてもらった。

    病人が激増し、医療費の高騰によって国の危機さえもが叫ばれる中で、一人でも多くの人が自ら病気を予防し健康を管理できるようになることは、これからの社会にとっても、また個人にとっても必要不可欠なことである。

    自然農法同様、半断食を体験することによって、一人でも多くの人が病気の悩み、苦しみから解放され、食の大切さに目覚めてくれることを心から願っている。

    2018/1/4 橋本宙八
  • 自分の身に起こった不思議な話 (2017/12/31 投稿)

    世の中には、自分のことであれ世間一般のことであれ、理屈では分からないことが一杯ある。その一つが、私が70歳になった今の今まで、なぜ食の世界に関心を抱き、長い人生でそれに関って来たのだろうか?という自分でも分からない不思議である。
    こ不思議は、私が14歳の時に死んだ父親を語った母の話から始まる。小学校の一年生になるまで私達家族は故郷の新潟に住んでいた。父親の仕事の都合で北海道の函館に移り住み、中学の二年生の時に父親は、出張先の釧路で仕事中に雲膜下出血で倒れてそのまま亡くなった。
    父の死後、どこの誰に聞いたのかは分からないが、母が、青函連絡船で津軽海峡を渡り青森県の恐山に行き、死んだ人と対話が出来ると言うイタコという降霊者に会いに行ったことを聞いた。
    この場所はずっと気になっていたので、大人になってからその恐山を訪ねて見たが、そこは、知る人ぞ知る東北の名所で、山奥の温泉の湯元の地獄谷一帯のことを言い、いかにもあの世をイメージさせる荒涼たる雰囲気を醸し出しているその名にふさわしい場所であった。
    イタコの多くは、かつては目の不自由な障害を持った年配の女性たちであったとも聞くが、いつの頃からか、そうした人たちが生きて行くための生業としてこの恐山に集まるようになり、死者の口寄せをして残された人たちを慰めるそんな信仰の場として続いて来たのだろうと思われる。
    いずれにしても当時は、その恐山がそんな所だとはまったく知らなかったが、その恐山から戻った母親が私を前に座らせて語ったことが、「父さんは、お前は将来、食べ物に関係する人間になると言っていた
    と話してくれた。
    しかし、表具師だった父親の跡を継ぐという話なら分かるが、考えたこともなかった食の仕事につくと言う話に、少年だった私は、たまたま母の兄である叔父が東京で飴屋をやっていたので、そこの工場にでも勤めるのかも知れないと、ぼんやりとそんなことを思っていたものである。
    しかし、その後、私が26歳になった時に、まさしくそんな食の最も深いところにまで踏み込んで食物による健康法を提案するマクロビオティックの仕事に付くとは、じつに不思議なことだと今でもそう思っている。
    そんな母親の言葉はただの偶然の一致なのか、あるいは、たしかにそんな未来が分かる世界があるのかは未だに良く分からないが、少なくとも私の人生に於いては見事に的中したそのイタコの予言の不思議さに、改めて世の中には理屈だけで語れないことがあるのだと言うことを実感する。そんな母は3年前に数え年100歳で亡くなった。生前の母を思い出す数少ない物語の一つである。
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